現代の武芸者たちの活躍に注目しよう。

youtubeの武道関連のチャンネルが増えて来たと感じます。

登録者を数十万人も持つ方が居て、こんな方は一寸した芸能人ですね。

まあ「武芸者」と云う云い方も在りましたから芸能人には違いない訳です。

互いに技量を認めた武芸者同士は最終的には決闘と云う形で技の交流をしたのでしょうが、現代の武芸者たちは大変仲が良くて互いのチャンネルでコラボレーションしたりして楽しそうです。

勿論、門外不出の部分は残しているのでしょうが、武道家同士で技を公開して互いに自身を向上させて行こうと云う姿勢は好感が持てます。

内容も知らずに他流を貶して自流を誇る時代はもう終わりにしましょう。

私もどんどん他流派、他武道の方と交流したいです。

それには向こうに認めて貰うくらいの実力が要りますけどね。精進しましょう。

段級位制度の意義とは?

多くの武道が段級位の制度を取り入れていますがその意義って一体何でしょうね?

日本の武道に限らず太極拳まで段位認定をする組織が在るみたいですが・・・・。

勿論、需要が在るから供給も存在するのでしょう。

理解出来なくても自分には何の影響も無いので構わないと云えば構わないのですが一寸は気になります。

ところで私が初めて審査を受けたのは空手の町道場に所属していた19歳の時です。

入門して半年程した時に館長が初段の審査を受けなさいと云って来ました。

入門時に経験を聞かれて高校の空手部に所属していたと答えていたので館長は受験可能と思ったのかも知れませんが、私は2年生の3学期から入部して3年生の6月で引退したので空手部に居たのは半年です。更には空手部は大人の指導者も3年生も不在で2年生が練習を指示していました。此の2年生も初心者から上級生の指導を受けてきた生徒です。

つまりは一度も専門の指導者から教わることなく空手を行っていたわけです。

空手部の練習の殆どは二人組になって上段の刻み突きに中段の逆突きのカウンターを決める練習でした。型の練習はしませんでした。

現在では良くもそんな好い加減な部に学校が許可を出していたなと思いますが、当時は特に疑問も感じませんでした。

さて館長の命で昇段審査を受ける事になった私ですが一個も型を知らないので、審査まで県大会で優勝経験が在る指導員からマンツーマンで特訓を受けることになりました。初めは「慈恩」を教えて貰ったのですが恐らく私には無理だと判断されたのでしょう審査2週間前に「平安五段」に変更されました。

何とか型を一通り出来るようになり審査に望みました。新聞に合格者氏名が出ていたそうで(現在では考えられない)近所の人が合格してたねと教えてくれました。

因みにこの審査は全国組織の審査で本来はこの下部組織の審査合格者しか受けられないものです。そんなことは随分後になって知りました。どうして自分が受験できたのかは不明です。

合格者は隣の県で行われる研修会に参加して初めて段位の免状が受けられると館長から聞かされた時にはハッキリと面倒くさいなと感じました。結局免許は受けませんでした。今から思うと組織内での館長の面目を潰してしまったかなと心配になるところですが当時はそんなことに気が回るほど大人ではなかったのです。

 

さて武道の段級位はスポーツのランキングとは違ってその人の実力を証明するものでは在りません。或る居合の道場では所持する段位に実力が伴っていないと判断されると段位が剝奪される仕組みになって居ると聞きました。審査に情が入る事を防ぐ為なのか審査料も取らないそうです。但しこういう例は極めて稀だと思います。

段位と実力は必ずしも一致するものでは無いと知って居ながら審査に臨む人は審査に何の意義を感じているのか?

家族にこの話をしたら「自分でも受けてみたら何か分かるかもね」と返って来ました。

確かにそうです。やってみなければ分からない、やった人にしか分からない意義がそこに存在するのでしょう。

やってみよう。受けてみよう。と頑張っている人が少し羨ましく感じます。

 

 

道場の引っ越し

昨日は 道場の引っ越し作業の手伝いに行きました。

新しい道場での練習は来月から始まるらしいです。

もう8か月ほど顔を出して居なかったので先生も驚いてたみたい。

此処の道場って何時から使ってるんだったかな?

 

初めて畳が敷かれた道場だった。それまではパズルみたいなマットを敷いて練習が終わったら片付けていたなあ。

畳が固くて受け身の時痛かった。その畳も随分凹んで今回運んだ畳は何年前に替えたのだろう?

 

練習に行くのが少し億劫に感じる時も在ったけれど、練習中は他の事を忘れて集中出来るのは嬉しかった。

 

新しい道場はどんなところだろう?

自分はどんな風に変わっているだろう? 試してみたいなあ。

真理は単純

合気道に技は幾つかありますが、全ては同じ物のような気がします。

 

「奥義は初伝に在り」

 

構えに養神館合気道の真理が詰まっているのでしょう

 

三体式と極めて似ていると感じます

 

本当はすぐ近くに真理が在るのに遠回りして探し回ってるのが私たちなのでしょう

 

「青い鳥」の話にも似ていますね

理想

私の理想とする合気道は力が転がり流れていく軌道を用意してやって、そこを相手が勝手に渡って行くと云うものです。

先生の技はからそんな印象を受けるのです。滑らかなカーブで川の水を目的とする方向へ変えて行くようなそんな感じです。

 

理想のかたちが出来たのだから後はひたすらその道を意識しながら練習するだけです。

この理想とするかたちが見えて来ただけでもかなりの収穫だったと感じて居ます。